もののけ姫を見ていて、『タタラ場には子供がいないの?』と不思議に思った方は多いでしょう。
あれだけ活気のある村なら子供がたくさんいそうですが、なぜ子供がいないのでしょうか?
そこで今回は、
- タタラ場に子供がいない理由は?
- タタラ場のモデルはどこ?
について考察していきたいと思います。
ネタバレを含みますのでご注意ください。
タタラ場に子供がいない理由は?
れなくじらって響きかわよい
— なかむられな (@rena_oppi) January 20, 2021
もののけ姫のタタラ踏む女の人たちみたいに一緒に踏み続けていい鉄つくりたい⚒ pic.twitter.com/RYDVzhAHLG
タタラ場には若い女性がたくさんいるので、子供もたくさん生まれていそうなイメージです。
イメージとは裏腹に子供が全く存在しないタタラ場ですが、どんな理由で存在していないのでしょうか?
タタラ場が危険な場所だから
『もののけ姫』の終盤は、鈴木敏夫さんの提案で変更されています。
— ジブリのせかい【非公式ファンサイト】 (@ghibli_world) September 9, 2022
当初の絵コンテでは、終盤のタタラ場崩壊はなく、あっさり終わっていたそうです
しかし、過去の宮崎作品は、終盤で炎上や崩壊があることから「それをやると、映画を観た気になる」と鈴木さんが提案し、タタラ場の崩壊が加わりました。 pic.twitter.com/gWlfs4AZ87
タタラ場は神の住む山を切り崩して作った場所で、怒ったもののけたちはエボシを常に狙っているという危険な状況です。
そしてタタラ場は製鉄所なので、貴重な鉄を求めて地侍やジコ坊など乗っ取ろうとしてくる輩は星の数ほどいます。
そういったことを踏まえて、エボシは子供を作らないように村人に言っていたか、タタラ場で生まれた子供は違う場所で育てられていたかのどちらかなのではないでしょうか。
現に映画の中で、エボシがシシ神退治に出かけた時にタタラ場は地侍の襲撃を受け、女たちが石火矢で戦っていました。
いつ戦が始まってもおかしくない状況だったタタラ場は、子供を育てるには大変危険な場所だったことがわかりますね。
登場人物のトキや甲六は夫婦だったにもかかわらず、子供がいなかった理由がわかります。
宮崎駿監督はあえて子供を登場させなかった
Q:タタラ場に子供がいない理由はなんですか?
— スタジオジブリ STUDIO GHIBLI (@JP_GHIBLI) August 13, 2021
A:タタラ場は出来てまだそれほど経っておらず、子供はこれから沢山生まれるだろうという時期、という設定です。 pic.twitter.com/eH9Vd3MFve
宮崎駿監督は、
タタラ場では男が守らなければならない女とか、家族の中の女性という風にはしないで、わざと切り離した。
子供を入れるとややこしくなるから、入れなかった。
今はそういう時期じゃないっていうタタラ場にしておこうと思った。
と明かしています。
また、アシタカは『いい村は女が元気だと聞く』と言っていました。
タタラ場の女たちは、男に従うというわけではなく、とても自由な雰囲気です。
あの時代の女性像とは違った『強い女たち』が多く、タタラ場という過酷な場所でも強く生き抜いていたことがわかります。
戦いの後、エボシは『ここをいい村にしよう』と言っていたので、新しく立て直した村はきっと子供がたくさんいる幸せな村になったのではないでしょうか。
タタラ場のモデルはどこ?
作中のタタラの炉は人間の背丈の倍以上の高さがありますが、これは宮崎駿監督による創作で、史実では人間の腰くらいの高さしかありませんでした。画像2は現存する唯一のタタラ建築物である菅谷たたらです。#もののけ姫 pic.twitter.com/rsyq6bJvnU
— キャッスル@ジブリフリーク (@castle_gtm) August 13, 2021
タタラ場という昔の製鉄所は、過去に日本全国に存在していました。
刀などに使われていた鉄なので、タタラ場はとても重要な場所だったことがわかります。
もののけ姫のタタラ場のモデルとなった場所は、島根県に実在しました。
菅谷(すがや)たたら山内
めくるめく製鉄の世界へ
— 幣束 (@goshuinchou) December 22, 2020
「菅谷たたら」
島根県雲南市の山中。我が国に於いて古代から行われた、たたら製鉄の現場でその一大コミュニティが今も保存復元されている。中心の建築「高殿」はフイゴによる送風システムで鉄を作る生産工場であり日本で唯一残されている。もののけ姫のタタラ場のモデルです pic.twitter.com/wX55V05Z2p
菅谷たたら山内は、江戸時代の1792年に鉄師の田部家によって作られました。
明治に入り製鉄技術が近代化されたので、1923年(大正12年)に廃業となりました。
しかし、1939年日中戦争で軍刀を生産するために再び稼働することとなります。
もののけ姫の製作スタッフは、この菅谷たたらを訪問して調査し、作品にタタラ場を登場させたのです。
また、菅谷たたらは国の重要民俗文化財に登録されていて、歴史的にも文化的にも非常に価値が高く、2012年から行われていた改修工事が2023年3月に終了しました。
これからたくさんの観光客でにぎわうと予想される『菅谷たたら』なので、もののけ姫を見てタタラ場が気になったという方は一度出向いてみるのもいいかもしれません。
タタラ踏む女達
【エピソード】この踏鞴場の女たちが歌う タタラ踏む女達-エボシたたらうた 歌っている人たちは番子とよばれ作業者しか歌うことができない pic.twitter.com/8bAjU0y0kA
— こびちゃん (@Kobichan_Ghibli) August 13, 2021
もののけ姫の中で、タタラを踏みながら女たちが歌を歌うシーンがあります。
あの歌は『タタラ踏む女達~エボシ タタラのうた』といって、もののけ姫のサウンドトラックにも収録されていました。
作詞は宮崎駿さんで、作曲は久石譲さんです。
歌の歌詞は、
ひとつ ふたつは 赤子もふむが みっつ よっつは 鬼も泣く 泣く
タタラおんなは こがねのなさけ とけて流れりゃ 刃にかわる
意味の解釈は、『タタラを踏むことは子供でもできそうだが、続けてするのは鬼も嫌がる。タタラで働けるのはエボシ様のおかげで、情けの心はやがて強靭な武器になる。』というものだと思われます。
この歌は映画のために作られましたが、日本には古来からこういった民謡が多く残されているので、当時の人々の気持ちが理解できますよね。
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まとめ
もののけ姫のタタラ場 完成! pic.twitter.com/B6ge0K3bDy
— 時雨 (@yzna_yo) July 13, 2014
タタラ場に子供がいない理由やモデルとなった場所について考察してきました。
結論とすると、
- タタラ場はとても危険な場所で、子供が生まれても違う場所で育てていたかもしれない
- 宮崎駿監督は従来の考えから切り離したかったので、あえて子供を登場させなかった
- もののけ姫のタタラ場のモデルとなったのは、島根県雲南市の『菅谷たたら』
となります。
どうして子供がいなかったのか不思議でしたが、納得できる理由でしたね。
モデルとなった『菅谷たたら』にいつか訪れてみたくなりました。